明治以降の戸籍の歴史
江戸時代には、幕府や寺社が作成した「人別帳」「宗門帳」というものがあり、これが人民の登録簿として存在していました。
文政8年(1825年)には、長州藩で戸籍法施行されたが、これが近代戸籍法の原点とも言われています。
明治5年式戸籍(1872年式)
(「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行)
日本で初めて本格的な戸籍制度が開始されたのがこの「明治5年式戸籍」です。
この戸籍は実施の年の干支が壬申(みずのえさる)の年だったので、一般に「壬申戸籍」(じんしんこせき)ともいわれています。
戸籍の編成単位は「戸」で、本籍は住所地とされ、現在の住民票の役割もはたしていたようです。
特徴的なのは、「皇族、華族、士族、平民」といった身分事項の登録があった事です。
また一般庶民は、「農工商雑」といった職業及び業種も記載事項となっていました。
※なお、本様式の戸籍はその記載内容から、差別問題に発展する事件をきっかけにして昭和43年以降は各地方法務局に厳重保管され閲覧や謄本の交付が禁止されています。
明治19年式戸籍(1886年式)
(「戸籍取扱手続」明治19年10月16日内務省令第22号、「戸籍登記書式等」同日内務省訓令第20号)
本籍の表示は前制度と変わらなかったが、屋敷番ではなく地番が採用されるようになりました。
また出生、死亡、婚姻、養子縁組の記載もなされるようになりました。
本戸籍が現存している中で一番古い様式の戸籍です。
明治31年式戸籍(1898年式)
(「戸籍法」明治31年6月15日法律第12号同年7月16日施行・「戸籍法取扱手続」明治31年7月13日司法省訓令第5号)
「家」を基本単位とする戸籍制度が開始されました。
明治31年に制定された民法(旧民法)では、人の身分関係に関しても詳細な規定を設けられることになり、本籍地、前戸主、前戸主との続柄、戸主となりたる原因及び年月日、家族との続柄等が記載されていました。
特に「身分関係」については、戸籍簿とは別に「身分登記簿」というものが存在していました。
大正4年式戸籍(1914年式)
(「戸籍法改正法律」大正3年3月30日法律第26号・「戸籍法施行細則」大正3年10月3日司法省訓令第7号、施行大正4年1月1日)
「身分登記簿」が煩雑であったため廃止し、「戸籍簿」に一本化されました。
家族一人一人に、両親、生年月日、家族の中で占める位置(長男の嫁、孫)などが記載されるようになりました。
昭和23年式戸籍(1948年式)
(「戸籍法を改正する法律」昭和22年12月22日法律第224号・「戸籍法施行規則」昭和22年12月29日司法省令第94号、施行・昭和23年1月1日)
戦後となり全面的に戸籍法が改正され、現行の戸籍制度が制定されました。
家を基本単位とする戸籍から、「夫婦」を基本単位とする戸籍に変更され、「戸主」を廃止して「筆頭者」と記載されるようになりました。
またそれまで記載事項としていた、「皇族、華族、士族、平民」といった身分事項も廃止となりました。
なおこの改正は昭和23年でしたが、戦争などの影響で実際に戸籍の改製が行われてたのは昭和32年頃になります。
平成6年式(1994年式)
戸籍事務の電算化が始まり、コンピュータによって戸籍を管理出来るようになりました。
それまでの縦書きから横書きの様式になり、従来の戸籍謄本は「戸籍全部事項証明書」に、戸籍抄本は「戸籍個人事項証明書」と名称が変わりました。
なお、コンピュータによる戸籍管理の実施は各自治体によって異なります。
コンピュータ化への移行は、莫大なコストがかかるため、今だ旧式の「戸籍謄本」を扱う自治体も少なくありません。。